櫻島爆發記念碑(東桜島小学校)
 桜島大正噴火当時の東桜島村長は川上福次郎氏でしたが、測候所の「桜島ニ噴火ナシ」との言を信用して、避難しないよう諭達したことを悔い、異変が起きたら測候所を信頼しないで急いで避難せよとう趣旨の記念碑を建てたいと念願しておられたそうですが、果たされないまま亡くなられましたので、後任の野添八百蔵村長が噴火10周年に建立しました。碑文は鹿児島新聞(現南日本新聞)の牧暁村記者が依頼を受けて執筆しました。測候所を理論と替えてぼかしたのは記者の判断だそうです。「科学不信の碑」として有名です。設立場所は、見晴らしのよい東桜島小学校の表玄関右側としましたが、現在では校舎は建て直され、校庭の片隅になっています。(文責・写真撮影:岩松 暉)
碑文:
大正三年一月十二日櫻島ノ爆發ハ安永八年以來ノ大惨禍ニシテ全島猛火ニ包マレ火石落下シ降灰天地ヲ覆ヒ光景惨憺ヲ極メテ八部落ヲ全滅セシメ百四十人ノ死傷者ヲ出セリ其爆發數日前ヨリ地震頻發シ岳上ハ多少崩壊ヲ認メラレ海岸ニハ熱湯湧沸シ舊噴火口ヨリハ白煙ヲ揚ル等刻刻容易ナラサル現象ナリシヲ以テ村長ハ數回測候所ニ判定ヲ求メシモ櫻島ニハ噴火ナシト答フ故ニ村長ハ殘留ノ住民ニ狼狽シテ避難スルニ及ハスト諭達セシカ間モナク大爆發シテ測候所ヲ信頼セシ知識階級ノ人却テ災禍ニ罹り村長一行ハ難ヲ避クル地ナク各身ヲ以テ海ニ投シ漂流中山下収入役大山書記ノ如キハ終ニ悲惨ナル殉職ノ最期ヲ遂クルニ至レリ
本島ノ爆發ハ古來歴史ニ照シ後日復亦免レサルハ必然ノコトナルヘシ住民ハ理論ニ信頼セス異變ヲ認知スル時ハ未然ニ避難ノ用意尤モ肝要トシ平素勤倹産ヲ治メ何時變災ニ値(ママ)モ路途(ママ)ニ迷ハサル覚悟ナカルヘカラス茲ニ碑ヲ建テ以テ記念トス
    大正十三年一月                  東櫻島村